しょうもないことに気付いた

 こんにちは。久しぶりの更新です。

突然のフッ軽

 昨夜ふと大学のポータルサイトを確認したところ、講義が無い旨を発見。こんな世の中ですが一日中家にいては勿体ないと(珍しく)思い、近場の銭湯に脚を運んでみました。建物は木々に囲まれ、とても静かでいいところでした。↓
www.shiraku.jp

 まずは隣のお店で蕎麦を頂き、食後の甘いコーヒーでゆっくりと一服し、いざお湯の方へ。席取りを間違え露天風呂からの隙間風に凍えながらシャワーを済ませ、ゆったりとお湯に浸かります。「温泉なんていつ振りだろう……」なんて考えながらちゃぷちゃぷやっておりましたが、途中からサウナや半身浴で、何も考えずただ数だけを数えて湯浴みをしていた時間がありました。

"空っぽ"にはなれない

 何も考えず、ただ数を数える自分の心の声のみに集中していると、何かこう心がフワッと軽くなったような、そんな感覚がしました。何となく日々の疲れを癒しに来ただけなのに、思いがけない出会いがそこにはあったわけです。
 現代社会で生きる私たちは、常に様々な情報に晒されています。私は現在大学生ですが、2年生になって講義内容の専門色が強くなり理解が難しくなってきました。サークルでも私は中心的人物になり(なってしまい)、考えることは人並み以上に多いです。他にも自分の趣味というかキャリアのための勉強も当然しますし、ゲームで遊ぶにしたって「どうせやるなら上手くなりたい」とか、「今はこのキャラや装備が強い」とか、やはり意識することは多くなってきますよね。
 改めて最近の生活を振り返ってみると、大学の講義はすべてオンラインですし、プログラミング周りの勉強なんてそれこそパソコンの中で完結します。アニメも完全に配信で観るようになりましたし、ゲームもVtuberの配信もパソコンで毎日楽しんでいます。夜も更けさて布団に潜り込んだかと思えば、そこであっさりと眠りにつくのは癪に障る気がして(ここがおかしい)、Youtubeとニコ動の巡回が止められません。そんな足掻きも諦めていざ目を閉じるとなっても、周防パトラちゃんのASMRが欠かせない身体になってしまいました。ここに随時各種SNSから舞い込む幾多の投稿を加えれば、枚挙に暇がありません。
 「何も考えない」「頭を空っぽにする」って、基本的に不可能なんですよね。それが出来る人ってのがメンタルリセットがしっかりできて、毎日フレッシュに活動をしているわけですが、私のような"根は真面目なクズ"は中途半端に理想を抱く分現実とのギャップに頭を抱えたり、かといって"気力の無い日"はだらだらと無気力に過ごしてみたり、そんなことを繰り返しているから悩みの種は尽きないわけです。

生き方を変えるのもまた、難しい

 じゃあこの際お前はそんな生き方を変えるのか、というと、残念ながらそれは嫌だしたぶん無理です。ぶっちゃけ◯んだ方がマシなレベル。だから、せめてそんな中でもメンタルリセットの術を何か持っておこう、と思った次第です。幸い私は母校で目を閉じ心を落ち着かせる習慣を身に着けてしまっていた(瞑目、とかいうと身バレしそう...…)のでスッと無音に入ることができましたが、まあ何でもいいので「頭を空っぽにする」手段を持っていると日常を割と穏やかに過ごせるんじゃないかなと。
 ただ布団の上で惰眠を貪るのとは違う、積極的に安寧を手に入れに行くムーヴ、みなさんもいかがでしょうか。



蛇足

 まあ何が言いたいかというと、"頭を空っぽにする"とか言っておきながら、「今いい体験してるな」とか考えてしまっていた、というオチでした。